荻窪 Life in the Woods

ヘンリー・ソローの『森の生活』を地でいきたい

覇悶のような面倒くさがりやが上手くいくためには55も乗り越えないといけないことがあるという現実

 『智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。

とかくに人の世は住みにくい。

住みにくさが高こうじると、安い所へ引き越したくなる』

by 夏目漱石

 

なんだそうですよ。漱石先生曰く。

なんだろ、いろいろとあってアカウントを新しく作ったわけです。

名前も一新して「覇悶 魅幻琉」(ハモン ミゲル)という名になりましたヨ。

ってか、この新しい名前は「スタジオ・スナフキン」という新しいモノを現在進行系で立ち上げたその代表者が「過重労働&酒」というまさかの状態のときに勢いだけで付けてきた……。

そもそも「ハモン」というのは「破門」からきている。だからアイコンで使用しているガンダムの「ハモン・ラル」とは一切関係がない。(そもそも物書きしているアタシに、著作権がバリバリあるこのアイコンを使わせているキャツはどーかと思う。遠からぬ日アイコンを変更することを誓います)

で、「ハモン」の話。

話は数年前に遡る。

あの日、まだ荻窪という土地に越してきたばかりの頃、東急多摩川線東急池上線界隈を縄張りにしていた蒲ンチュ(アノ伝説的な蒲田で呑み続けた男の意)のアタシは、荻窪の風土に馴染みきれないでいた。

理由は、どーということはない。ただ蒲田よりハイソだっただけのこと。さすが国内屈指のベットタウンのことだけはあったのだ。

そういうことも知らずに蒲田のノリで越してきてしまったから、当初は大変だったのである。川下には川下の、川上には川上の流儀があるということなのよネ(わかる人にはわかる)

なので、はじめは表現できないほどの違和感を覚えながら日々暮らしておったワケよ。しかも酒入ってないアタシは、初めの店に入るとか殆ど無理なタイプ……。

そんななかで、なんとか今でも通わせてもらっている「スター餃子」というお店をみつけたワケなのよ。

通って数日、いや、数週間? すでに記憶が定かではないのだが、この「スター餃子」で、「スタジオ・スナフキン」を立ち上げることとなる男と出会ったのであった――。

初めての出会い。話題は『ときめきメモリアル』というゲームの話になった。

この「スタジオ・スナフキン」代表者(そろそろこの呼び方がうっとおしいので以下"スナフ・キム・タマ"氏と仮称しよう。そして、この呼称が事実とそれほど相違がないということをお断りしておく)は、アタシの青春時代を全てささげた『ときめきメモリアル』に携わっていたということで、大いに盛り上がった。

それから数日がたったとき、道でバッタり"スナフ・キム・タマ"氏と遭遇したのであるが、あろうことか彼は無残にも安美錦関バリに足をギブス固定していたのである。

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マジでこんな感じにギブスをしていたのだ。

そりゃ、アタシはけっして無頼漢ではないので「どうしたんですか?」と、至って普通の模範的良民としての反応をしたワケなのだが、"スナフ・キム・タマ"氏曰く「ホームから転落した」というのである。

そうすると「どうして落ちたの!?」って驚きながらフツーは聞くわな。その例にアタシが漏れることはなかった。(だって良民だから)

すると「酒飲んでて……」と、この話にはいろいろと曰くがあるのだが、そこは面倒なので端折る。

結論として、アタシの脳内ではこのオジさん(ちなみに"スナフ・キム・タマ"氏はアタシより一回り年上、つまり同じ未年)

酒飲んで→酔っ払って→前後不覚で→ホームから転落→結果、足折る

ということをやってのけることのできる人だ、という認識で今でもいる。

で、安美錦のような状態の"スナフ・キム・タマ"氏が駅に行きたいというのでチャリの後ろに乗せた。

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「バカ野朗! まだハジまっちゃいねーヨ!!」って感じとは程遠いリアルではあったが、そこからの付き合い。

で、『キッズ・リターン』と時を同じくして、アタシはとある原稿でミスをして今の師匠から「破門だ!!」って言われたことがあった。マジ凹んだ。『キッズ・リターン』バリに凹んだ。

そんなとき、そばにいたのが"スナフ・キム・タマ"氏だった――。

その後、紆余曲折が"スナフ・キム・タマ"氏の方にあり、交通事故からの精神と時の部屋におけるMETAL GEAR SOLID 』を経て、彼が帰還を果たし、現在に至るのであるが、その間、アタシは彼と出会うと今のところ100%という鉄板で、師匠から「破門だ!!」と言われている。

アタシは"スナフ・キム・タマ"氏と出会うたびに、師匠から「破門」されそうになっている。しかしながら、アタシの師匠と"スナフ・キム・タマ"氏との接点は皆無。

まったく出会ったことがない。他人中の他人である。

 にもかかわらずアタシは「破門」というギリギリのラインを歩くことになってしまっているのだから、世の中どーなっているのかと本気で神様というエライ方がおられるのならば、膝を突き合わせて一度、しっかりと議論を交わしたいくらいの思いでいる。

結果、覇悶魅幻琉というアカウント名は、この「破門」に由来するということを述べておきたかったのである。

余談であるが、アタシの師匠がアタシにたいして「破門だ!!」といった理由については、アタシの一方的で盛大な遅刻に原因が帰依するのだが、結果として"スナフ・キム・タマ"氏と出会うと「破門だ!!」と言われている現実があるのも事実なのだから、彼にもある程度の責任がないことはないのだろうと、アタシは心の底から思っている。

事実は正論を凌駕するというヤツである。

と、"スナフ・キム・タマ"氏をディスってはいるのだが、反面、多くの人は知らないが彼はなにくれとなくアタシの面倒を非常にちゃんと、それこそ優秀に見てくれている。

あえてその功績をなにかに例えるならば――そう、夏休みの飼育係ほどの偉大さを彼は持ち合わせているということが言えるはずで、まるで石川啄木金田一京助のようであるから人生とは不思議なものです、ってヤツではないだろうか。

なんならここ最近は、"スナフ・キム・タマ"氏がもってきてくれるものでアタシは飢渇をしのいでいる有様だ。

しかも「スタジオ・スナフキン」をするにあたっても、アタシという人間は、代表とか、営業とか、人を仕切るとか、そういった人と関わり合うコミュニケーション能力の一切合切が不得手なので、はじめから「そういうのはやらないから」と断言し、あまつさえ事あるごとにそこに関しては念を押している始末である。

結果、「スタジオ・スナフキン」のそういうことに関しての全てを彼にまるまるうっちゃっているのだ。それなのに原稿が行き詰まるとブログを新設するという暴挙に打ってでるからホトホト質がわるい。

 そうしたことを鑑みると、いかんせん己の健全たる社会人不適合者を再確認しないワケにはいかないのだが、その方面の話になると"スナフ・キム・タマ"氏もある側面においては、アタシなんかよりずっと社会人不適合者のレベルが高い。

つまり社会人不適合者の先輩ということが言えるのだから、世の中において「正しい」といわれる物事の不確実さを痛感せざるをえないのである。

そんなこんなで色なんものが後々辛くなるから、今日のブログはこの辺にしたい。

最後に、生粋の社会不適合者であることを自分でも後ろめたく思っているので、それこそなんとかしようと本屋にいった。

だが現実は甘くなかった。

なんなら『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』という本を目の当たりにして、アタシはつくづく嫌気がさしてしまったのである。

面倒くさがりやなのに、55も乗り越えられるワケがない。亀に兎より早く走れ!! といっているようなものだ。

どんなに努力したところでアタシはウサイン・ボルト氏を超えることなどできないように、どだい無理な話であるようだ。

そう考えると、じつに世の中はどーもうまいこといかないようなのである。